「不登校・多様な学びネットワーク茨城 つくばエリア」さん主催によるイベント、
《不登校・多様な学び つながる”縁”日》に参加しました。
子どもセンターは個別相談や、ミニ親の会を担当させて頂き、集まってくださった皆さんのお話をお聞きしました。
当日参加したスタッフからの報告と感想です♪
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〈スタッフ ひとりしずかさん記〉
10月15日、つくば市桜総合体育館で「つながる”縁”日」というテーマのもと、不登校問題や多様な学びを考え、追求している方々が集うイベントが行われました。主催はその名もズバリ「不登校・多様な学びネットワーク茨城 つくばエリア」です。
当日は400人以上の方々が集まり同じ空間で話し合い、考え、情報交換を行い、それぞれがそれぞれのスタイルで交流しました。「つくば子どもと教育相談センター」も参加。今現在お子さんが不登校で悩んでいらっしゃる保護者の方々と話す場を設定して頂き、私たちスタッフも共に問題を共有し、考えました。子どもの悩みに向き合う保護者の方々の真摯な語りに、改めて「不登校親の会」の意義を感じたものです。
また全体として恵泉女学園大学の学長の大日向雅美先生の「親も子もあるがままの”私“を見つめて未来を拓く」という題で講演がありました。講演の中で先生がたびたび口にされた「しなやか」「柔軟」という言葉がまさにピッタリの大日向先生。柔らかくて静かな語りの中に力強さと信念が迸り、グイグイと話の中に引き込まれていきます。(話のあらすじは以下の通りです)
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これまでの常識やルールが通用せず、大人も子どもも混迷のるつぼに叩き落とされているウィズコロナの今。私たちが拠り所にするものは何か。それは「自分」であり、その自分とは「いつ、何があっても、自分らしく、しなやかに凛として生きる」ことなのだと先生は語ります。そしてそんな自分であるために確かに育てたい価値観が「自己肯定感」であると続けます。自己肯定感という言葉は日本人には馴染みのない言葉であったが、元オリンピックマラソンランナーの有森裕子さんが「自分で自分を褒めてあげたい」とインタビューで語った事が火付けとなり身近な言葉になってきたようです。この「自己肯定感」とは「自信」とは違い「あるがままの自分を受け入れる強さと謙虚さ」であると説明されます。そして、その延長にはわが子の「あるがまま」を受け入れる姿があると述べられました。大日向先生は、地方で活躍している方との対談のエピソードの中で「失敗は成長にしかならないのだ」という言葉を教えてくださいました。どんな失敗も、どんな出来事も将来の自分への幸せへの足がかりなのだから失敗を恐れることなく自分のやりたいことをやればいいと大日向先生は静かに、しかし力を込めて話されました。
最後に「子育てで大事にしたいこと」として2つの言葉を聴衆に贈ってくださいました。それは「たゆたえど沈まず」と「ふらここのように」です。
「たゆたえど沈まず」という言葉は、帆船は波に揺られているが決して沈まないという意味でパリの紋章でもあります。(原田マハさんの小説のタイトルでもあります)また「ふらここ」とはブランコのことで、春の季語でもあります。どちらの言葉も「揺れる、あっちにこっちにと揺れる。が。根本はドッシリとしていて、その揺れさえ楽しむ」という意味でしょうか。とかく子育ての最中は「こうであらねば」と自分をがんじがらめにしがちですが、力を抜いて「ゆらゆら、ゆらゆら」と自然にまかせることも大切だと先生は柔らかに語ってくださいました。(要約おしまい)
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瞬く間に時間は過ぎ、会場はまるでパリの帆船のように、あるいはブランコのように心地よい揺れに包まれているようでした。
「たゆたえど 沈まず」
まさに大日向先生ご自身が体現なさっている言葉のように感じます。
「自分らしく」と先生は言われましたが、私自身は改めて「自分らしくとは何か」と迷います。しかし、「たゆたえど 沈まず」のような生き方を目標にしたいな、と強く思ったものでした。
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〈スタッフ にゃーさん記〉
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☆編集後記☆
不登校の子どもや、学校での学習に何らかの困難を抱える子ども、それを支える親御さんたちはともすれば孤独感や無力感に苦しめられがちではないでしょうか。
「つながる”縁”」
こんな企画をしてくださった「不登校・多様な学びネットワーク茨城 つくばエリア」の皆さまのエネルギーとバイタリティ、本当に素晴らしい取り組みだったと思います。
お疲れ様でした!
そして
どうもありがとうございました!
ひとりで悩まずに、どうぞ気軽に親の会に話しに来てくださいね!